距離を置いて楽になったなら、それがあなたの人生
この写真は、私の姉(長女)がSNSのプロフィールに使っている写真だ。
この写真の中に、私はいない。
私は家族として認められていない。
5月に上演する私の新作舞台
東京マハロ20周年記念公演「可もなく不可もない戦争」
これは家族の物語だ。家族間の愛だとか、再生だとか、そんな生ぬるい話ではない。
家族が粉々になる話だ。
家族は時に複雑で残酷だ。
幸せな時間が多ければ多いほど、別れる時は粉々になる。
かくいう私は家族と粉々になった一人だ。
写真が何よりも証明している。
今回は私の生い立ちと家族の話をしたいと思う。
私は1975年、東京は千代田区西神田に生を受ける。
水道橋と九段下と神保町を三角で結んだちょうど真ん中。
父方の祖父は、この街じゃ知らない人はいないくらいの有名人。
任侠に近い世界の人物だったらしい。
私が生まれる前に旅館で急死してしまったので会ったことはないが
写真で見る限り梅宮辰夫と石原裕次郎を足して2で割ったような風貌だ。
戦後に若い衆を束ね、製版物をリヤカーで運んでいたと聞く。今で言う運送業者の走りである。
一方の母方はと言うと、製本会社を営むエリート一族。
母は二十歳の頃には乗馬とバイクとスキーを楽しんでいたという。
そんな父と母が出会い、恋をし、反対され、駆け落ちし、結ばれた。
なかなか描きたくても描けないようなラブストーリー。
兄妹は三人。姉二人で私は末っ子の長男。長女とは8つ離れ、次女とは6つ離れている。
父は祖父から会社を受け継ぎ、運送業を拡大。
昭和バブル期に乗る形で父の会社はかなり繁盛していた。
会社は家族経営。役員も、経理も、従業員の中にも、身内がいた。
そんな中で兄妹はなんの不自由なく育った。
もちろん私も。
しかしこの不自由のなさが、やがて不幸を呼ぶことになる。