学年順位350番中345番だった私が「向田邦子賞」を獲るまでの話
それは突然の電話だった。「矢島さんのドラマ作品が、向田邦子賞の最終選考に残っています」
その電話の1年前に、私はテレビドラマデビューを果たしていた。2016年4月放送 TBSの深夜ドラマ「毒島ゆり子のせきらら日記」。前田敦子さん演じる政治記者が純愛や不倫をしながら恋愛と仕事を貫く物語。舞台でしか脚本を書いたことない人間がテレビドラマデビュー。しかもオリジナルの連続モノで全10話。今考えればとんでもないエリート待遇?VIP待遇?としてTBSにオファーをいただいた。キッカケは赤坂レッドシアターで公演をした劇団の公演だった。その時に関係者を通じでTBSの女性プロデューサーが観に来ていた。終演後、ご挨拶に向かった私に「矢島さん、一緒にドラマを作りませんか?」そう言ってくれた。
今年50歳になった1975年生まれの私の脚本歴は19年前まで遡る。幼い頃から「芸能界」に憧れ、鈴木保奈美と中森明菜が好きで、とんねるずに笑い、中島みゆきに浸り、男女七人夏物語に心踊らせ、深夜テレビと深夜ラジオに齧り付いていた少年時代。紆余曲折を経て2006年に劇団を立ち上げた。(劇団立ち上げの話はまた後日)東京都豊島区大塚は「萬劇場」という80人も入れば満席な劇場で、友人に脚本を書いてもらい、私は演出、そして俳優として板の上に立った。
劇団東京マハロ旗揚げ公演である。
自信作だった。絶対にこの演劇界で天下を取る。夢は無限に広がっていた。しかしその夢は公演初日に無惨に散る。ドラマ・映画監督である飯田譲治氏(別に言ってもいいだろ!NIGHT HEADや沙粧妙子の監督です)にまだ客が残る中「おい矢島!こんなつまんねーもんやってんじゃねーぞ!」と怒鳴り散らされたのだ。