『時には映画の感想を』
コラムニストと脚本家の違いは
前者は自分の言葉を文字で伝えることであり
後者はキャラクターを通して想いを伝えることであると思っている。
紛れもなく私は後者である。
後者である私は、映画であり演劇であり、
観終えた作品の感想を文字に起こすことがとても苦手だ。
膝、もしくはジョッキ、はたまた焼き鳥の串を突き合わせて
語るのは大いに出来る。
むしろ好んでする。
私好みの良作に出会った日なんて誰かと語りたくて呼び出してしまう。
過去に呼び出された皆さん、良い迷惑だったらごめんなさい。
次回からは断ってください。反省します。
文字は人に誤解を与えやすい。
それでも皆さんに読んでいただいているこのコラム『脚本魂』の中では
素晴らしい作品に出会った時は伝えて行こうと思っている。
中島哲也監督の『時には懺悔を』を観た。
今の私には刺激しかない作品であった。
理由は、私が演劇で描きたくても描くことが出来なかった
『メッセージ』が詰まっていた。
きっとこれからの人生で思い出す作品の一つだと思う。
ご存知の通り、私のホームグラウンドは演劇である。
演劇の良いところは『表現は無限』である一方で
無限という無責任な表現で足元をすくわれることがある。
『無限』を伝えるのは難しい。
『無限』は『無責任』なのだ。
話を戻すと、『時には懺悔を』は演劇が出来る無限を
丁寧に超えていたと言えば良いだろうか。
そう、軽々ではない。『丁寧に』だ
私は10年前に『コウノドリ』と言うドラマ作品の脚本に入らせてもらった。
『生命』がテーマのこの作品は、私の脚本作りの礎となった。
何ヶ月にも及ぶ取材では、障がいを抱える親御さんや病院の関係者と何度も会い、
『綺麗事』だけでは語れない、残酷な現場を目の当たりにして
深く傷ついたことを覚えている。
ここからは初めて公にする。

